TABI-TATSU BLOG

衣食旅

【留学する目的とは】海外と日本人留学生の認識の違い

こんにちは。

 

 

南半球なので、こちらは真冬(とは言っても最低気温が氷点下はいまだ体験していませんが、、、)になり、いよいよ私の海外留学にも終わりが近づいてきました。

 

 

思えば、8月のお盆休みに留学の見積もりを取りに行って、その場で留学に行くことを決意し、お盆休み明けに退職の意思を伝えたもので、本当に何もかもが急展開で、

海外でアルバイトをしながら、勉強をするなんて1年前の自分は想像もしていなかったなと感傷にひたったりしています。

 

まあ、そうこうしているうちにも時が一瞬で過ぎて行ってしまうので、

 

忘備録として、英語学習以外の観点も含め、

日本国内で勉強してる中では気づけなかったことや海外の学生と日本の学生の教育に関する認識の違いを列挙し、その理由や影響について評価・言及していきたいと思います。

 

 

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ギャップイヤーへの理解

 

まず、特筆すべきなのは、日本ではあまり馴染みのないギャップイヤーという制度を利用している学生の多さです。

 

下記のサイトについてその内容とメリットが簡潔にまとめられています。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

 

最近では、クウォーター制を導入するなど留学に行きやすい環境を大学側が提供したりしていますが、あくまでそれは大学入学後の話で、結果として、学生の特異性ではなく

 

「人から遅れることに引け目を感じる」

 

ということを重視する日本人のための簡易的な措置でしかないと考えます。

 

 

クウォーター制とギャップイヤーの大きな違いは留学をする時期と期間です。

 

・前者が、大学入学後の2~3か月(留年、浪人をする必要はない)に対し

 

・後者は、大学入学前の約1年間(基本的に大学入学が一年遅れます)

 

 

日本人の感覚として、前者が効率よく感じる傾向にあると思います。

前述の通り、人と違うことに対し敏感な国民性なので。

 

 

しかし、実際にその制度を利用して留学に来ている19歳のフランス人の女の子と話をしていると、その知性と行動力に驚かされました。

 

彼女は、リヨンというフランスの1都市の高校を卒業後、親元を離れ、単身でオーストラリアに来ていました。

しかも、学生寮やホームステイではなく、シェアハウスを自分で見つけてそこに住んでいるうえ、アルバイトも掛け持ちでしているというのです。

 

 

(クウォーター制での留学ではこのような経験はできません。そんな短期間で雇ってくれる雇用主やシェアハウスのオーナーはいませんから。断言します。)

 

 

そして、このような経験こそが彼女の基盤になっていると感じました。

 

CAEという英語の試験ではディスカッションがあり、環境問題や現代テクノロジー、次世代の社会についてなど比較的扱うのが難しいトピックでディスカッションを求められるのですが、それに対して的確に自分自身の意見を述べることに長けていました。

 

自分の意思で決定をする・判断をするという能力が鍛えられているからだと考えます。

 

 

異国の地に腰を据えて様々な経験をすることで将来的なビジョンが広がり、大学での勉学が有意義なものになるのだと思います。

 

 

 

 

リベラルアーツ教育

 

前の項目でも少し述べましたが、海外の学生は自分の意見を述べることが上手です。

 

こればかりは日本の教育制度を恨むしかありませんが、

日本の試験は単に知識を暗記するだけのものが圧倒的に多いです。

 

ある事象に対し、課題を見出し、自分の考えを持つということは必要とされません。

 

しかし、海外では高校の段階からエッセイの課題や試験が多いようです。

よって、

インプット→咀嚼→アウトプット(論文)

までを教育と見なしているような印象を受けました。

 

日本では

インプット→アウトプット(選択式)

だけで、自分の意見を持つことは重視されていないため、ディスカッションで自分の意見を出すことが苦手な人が多い気がします。

 (どうしても客観的な事実が先行してしまう)

 

 

 

 

 

また、リベラルアーツの本質の部分ですが、

ギャップイヤーも含まれると思うのですが、自分の専門領域外への関心が高いです。

 

 

「英語学習は日本国内でできる」

 

と謳ったウェブサイトや広告が散見されますが、果たして「英語が話せる・理解できるだけの人」のことをグローバル人材と呼べるのでしょうか。

 

diamond.jp

 

 

添付の記事にも記載の通り、学問外の知識がイノベーションを生み出す気がします。

 

英語を通じて、異なる文化や学問領域について学習して、情報の交換ができる段階になって初めてグローバル人材になると感じました。

 

 

 

 

目標設定

 

特にヨーロッパからきている学生と話していて感じたのですが、なんのために英語を勉強するかという点が明確でした。

 

そして、英語学習のゴールでさえ明確に定めていました。

 

日本人の多くは(私もそうでしたが)、先払いで学費を払ってとりあえずその期間学校にちゃんと行きさえすれば勉強したと言えるだろうと思っている人が多いです。

 

事実、日本人留学生の出席率は他国の学生と比べ驚異的に素晴らしいです。

 

が、その学力の伸びを見る限り、他国の学生に劣っていました。

 

 

CAEのクラスには日本人はもちろん、アジア人は私だけで、ヨーロッパ圏の学生が多く、そのほとんどが期間を短く定めて、この資格の取得のためだけに留学に来ていました。

そうでない人も、このコースが終わると、契約期間が残っていたとしても学校を去る傾向にあるそう、、、

 

 

費用対効果について本当にシビアで、アルバイトの話になったときも

「時給が$〇〇以下なら働く価値がない。」

などの発言をする人が多く、物事を判断する指標がはっきりしていました。

 

 

 

 

結論

 

以上の点を鑑みて、日本人と諸外国(特にヨーロッパ圏)の学生の教育に対する考え方は大きく異なっています。

 

日本の留学生は漠然と英語を学ぶことを目標にしていますが、他国の留学生は、英語を用いて何か別の学問を学ぶことを前提としています。

 

これは学問の根幹にも深く関わっていて、

リベラルアーツをその分野内でしか使用されないものとして捉えるのか、他の分野との架け橋になるものとして捉えるのかの違いのように思います。

 

そして、日本にはグローバル人材が不足していると嘆かれる原因がここにあると強く感じました。

 

 

 

また、

 

・あらゆる事象に対し自分独自の意見を持つこと

・目標を定めるだけではなく、さらにその目標を達成するには何をすればよいかを自分で明確にすること

 

は学習するうえで必要不可欠ですが、その部分の欠落が日本人には顕著に見受けられました(個人を責めているわけではなく、西洋の教育制度を誤解して採用した明治政府に非があります)。

 

 

 

 

 固い言葉で最後まで来ましたが、かみ砕いて言うと

要は、直観ももちろん大事やけど、知識を研鑽していく上では、まず何事もロジカルかつクリティカルに考えることってめちゃくちゃ重要やなと。

 

 

 

 

私の留学生活はもう終了しますが、この経験がこれからの人生に役立つことを祈るばかりです。