TABI-TATSU BLOG

衣食旅

④リトアニア〜リガから十字架の丘への行き方〜

 

 

おいーーーっす!

 

リガで2泊して、本日はリトアニアの十字架の丘に向かいます!!

 

世界奇怪遺産に堂々と上位に食い込んでくる名所です!

 

バスのチケットが埋まりやすいって聞いてたので、前日に購入しておきました。

バスターミナルから宿が近いとこういう時に便利!笑

 

 

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鉄道駅の真ん前にバスターミナルがあります。

 

 

 

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9:00am発のクライペダ行きのバスで途中下車コースです!

 

リトアニアに入国して、シャウレイに着いたら、次はローカルバスに乗り換えて十字架の丘へ向かいます。

 

 

ちなみにバックパッカーの方は、バスターミナルに3€ほどで荷物を預かってくれるところがあるので、それを使うと楽やと思います。

 

 

 

 

 

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ほんまに何もない田舎道で降ろされて、不安になりますが、一本の脇道があるのでそれに沿って行けば難なく着きます。

 

 

 

 


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おお


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おおおおお

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おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

 

 

 

まわりに何もないところに急にこれが出てきたら感動します。

 

 

迫力がすごい

 

 

 

 

なお、どういう目的で十字架が集まってきたのかは諸説あります。

 

 

 

 

 

 

①病にかかった娘のために
この地に十字架を立てた父がおり、
娘のその病気が完治したことから
次々と十字架が立てられたという。
今では、リトアニアを代表する名所となっており
観光客が健康を願い十字架をたて、
その数は年々増え続けている(某テレビ番組参照)

 

 

 

 

 

 

②かつてリトアニアのカトリック信仰は脅威にさらされたこともあったが、数世紀を経て、この丘はカトリック信仰の長い歴史を物語るようになっていった。1795年の第3次ポーランド分割で、リトアニアはロシア帝国の領土下に置かれることとなった。ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起を起こした(1831年の11月蜂起、および1863年の1月蜂起)が、いずれも失敗に終わる。これら2つの蜂起はこの十字架の丘の始まりに関係している。反乱兵の家族が、彼らの遺体のかわりに十字架を丘に建てたのである(wikipedia参照)

 

 

 

 

 

 

③アムウェイの勧誘にひっかかった(僕の説)

 

 

 

 

 

 

 

 

諸説ありますが、おそらく③以外だと思います。

 

 

 

1時間ほど見学して、また田舎道のバス停まで戻ってバスターミナルまで戻ります。

 

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シャウレイではそのまま一泊もせず、そのままリトアニアの首都のヴィリニュスに向かいます!!